クリケットというスポーツの名前の語源には諸説あります。
クリケットという言葉は、英語で「cricket」と書きます。英和辞書で調べると、クリケットというスポーツとしての意味の他に、コオロギという意味も書かれています。ちなみに余談ですがピノキオに出てきます緑のモーニングにシルクハットをかぶった姿のコオロギはジミニー・クリケットという名前です。そのコオロギの鳴き声を、英語では「chirp」という言葉で表すようですが、その鳴き声に、クリケットでのバットでボールを打つ音が似ている、という事で名付けられたのでは…と言われているようです。
一方で、フランダース語で、「棒切れ」という意味を表す「krick」、もしくは、アングロサクソン語で「支柱」という意味を表す「Cricc―Crycc」ではないかとも言われています。
前者は、クリケットという言葉を、音という側面から捉え、後者は恐らくクリケットという言葉の意味や形態というような側面から推測された物であると言えます。しかしどちらも推測であり、その語源を定かにするような資料は見つかってはいないようです。
クリケットの起源にも様々な諸説があるようで、はっきりと起源に関して明記された書物は非常に少ないようです。
その中でクリケットの起源に関して最も一般的なのは13世紀、羊飼いが仕事の疲れを癒すために始めたゲームだと言われています。羊飼いは棒状のスティックを使い、投げ込まれる石から味方のゲートを守ったのです。この素朴な遊戯が時代と共に変遷し形を変え、その後、庶民の娯楽として確立し始め、17世紀初頭には現在のクリケットに通じる形になっていったようです。18世紀前半には、続々とクリケットクラブが誕生し、貴族や富裕階級の間で人気が高まって行ったようです。
現在、ボールゲームという物は様々とありますが、手と球との関係から成るボールゲームのことを、イギリスでは単にハンドボールと呼ぶようです。日本で言うハンドボールとは、ここで言うハンドボールとは幾分異なりますね。
このハンドボールは、ホメロスの詩篇オデュッセイア(イタカ王オデュッセウスのトロイヤ戦後の冒険詩)の中に描写されているもののことで、その歴史は相当に古く、ローマ人も盛んに楽しんだゲームであるようです。しかし、古代の人々がやっていたゲームは正に本当のハンドボールであり、後世出現したものとはかなりその様相は異なったものだったそうです。
またクリケットのような球技で、クラブボールというものもあったようです。しかし、このクラブボールには2種類あり、一方は相手の投げたボールを打って行なわれるゲームであり、もう一方は、打者が自分で空中に投げたボールを打つか、あるいはバウンドさせてから打つかするゲームだったようです。イメージとしましては野球のノックに似たスポーツであったようです。前者が、17世紀から、クリケットと呼ばれる組織的ゲームに発展していったとも言われています。
クリケットの精神は、スポーツマンシップそのものであり、現在世間で一般的に理解されている"スポーツマンシップ"とは、このクリケットから生まれたものだと言っても過言ではないでしょう。19世紀大英帝国において、パブリックスクールでは、男らしさと統率力が一番養われるのがクリケットでした。クリケットは試合そのもの以上のものがあり、理想的な道徳的特性に満ち満ちた1つの制度であったとまで言われてます。
また、帝国主義をも反映しています。20世紀を代表するスポーツ選手として世界のスポーツライターがベスト10に投票した選手であり、1953年、クリケットに対する貢献によって女王から叙勲を受けたオーストラリアクリケット界の伝説的バッツマン、ドン・ブラッドマン(Sir
Donald Bradman)は、クリケットにまつわる強力な神話を次のように要約しています。「いかなる競技にもまして、クリケットが教えるのは利己的でないということ。…実際、いかなるクリケット選手も良心のない利己的な状態になり得ない。…クリケットと同程度に自己規制を促進する競技は他にない、と私は思う。…クリケットという競技は、常に、無条件の絶対服従の競技である。」
大英帝国の諸国民が一度クリケットに熟達するならば、その国に幾分かの自治を与えてもよい、という帝国的クリケット信奉者すらいたようです。
日本ではニュースポーツとして取り上げられがちなクリケットですが、旧大英帝国の植民地においてクリケットは、紳士の代名詞であり、名プレイヤーの中には爵位(Sirの称号)を与えられた人も数多く存在しています。イギリスでは、その精神が政治にまで取り入れらたり、またクリケットクラブでのパーティーは商談等の場に使われるなど、文化や芸術とも根強く結びついているスポーツです。更にクリケットは慣用句や諺にも用いられており、"It's
not cricket"は""公明正大に事を行う"或いは"フェアではない"、といった意味で現在でも用いられています。
クリケットとは、旧大英帝国時代の植民地全てで現在でも行われており、イングランドやオーストラリア等では夏の国技であり、冬のフットボールと人気を二分する代表的な国民的スポーツです。現在では、世界50か国以上の国で盛んに行われており、競技人口はサッカーの次と言われています。
ゴルフにテニスにラグビーやサッカーなど英国を母なる国とする近代スポーツは数多くありますが、その中でもクリケットは1774年に統一規則ができるなど近代的な形を整えたのが最も早く、その後フットボール等が都市で禁じられていた間も郊外のスポーツとして逆に奨励されたくらいで、プロチームも既に1846年には誕生し、大衆の人気を高めるようになっていきました。その後1859年のオールイングランドのカナダ、アメリカ遠征にはじまる諸外国との積極的な交流も盛んになり、名実ともに近代スポーツの幹として定着していったのです。
クリケットにおけるルールやフェアプレイの概念に関しての裁定を下す役割は、世界最古のスポーツクラブであるロンドンのマリラボーン・クリケット・クラブ(Maryleborne
Cricket Club)が1870年代まで委ねられており、1835年に、そのMCCが「The Laws of Cricket」を明文化してから、4回ほど修正されただけで、基本的には現在まで150年以上変わっておりません。実業家のトーマス・ロードが建設した「ローズ・クリケット・グラウンド」をホームグラウンドとするMCCは、世界で最も権威あるクラブとなり、また、ローズ・クリケット・グラウンドはクリケット界における聖地となっています。
国際的な試合も年間を通して世界中で数多く行なわれております。国際的には国のランクがあり、中でもファーストクラスと呼ばれるイングランドをはじめオーストラリア、ニュージーランド、インド、パキスタン、西インド諸島、スリランカ、南アフリカ、ジンバブエ、バングラディッシュの10カ国は、国代表の公式対抗戦を行える一流国として実力を認められています。国際大会の運営は1909年、イングランド、オーストラリア、南アフリカの3カ国によって設立されたI.C.C.(International Cricket Council)が行っております。3カ国でスタートしたICCも現在は日本を含む40カ国以上が正式加盟しております。
1970年頃からは、世界的なスピード化、情報化という社会変動の中で、国際クリケットにも新たな動きが見られるようになり、新時代の到来を告げています。伝統的方法で行われるテストマッチが5日間の日程を要し、ゲーム展開がゆっくりとし、時には引き分けもあり得るのに対して、ゲーム展開が早く、試合結果もその日の内に出るというワンディマッチも制度化されるに至りました。その結果、4年に1度の開催のワールドカップや3カ国対抗戦のワールドシリーズ等といったワンデイ国際大会も数多く開催されるようになりました。
また、試合時間以外でも画期的な試みがなされています。それは伝統的には服装は上下白色を基調とし、ボールは赤とされているのに対して、最近では一部の試合で各チームがカラフルなユニフォームをまとい、ボールは白色へと革命的ともいえる色彩転換を成したことです。これはカラーテレビ放映を意識したものであり、しかも夜間試合を行うという理由もあります。
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